【出れんの!?サマソニ!? THE O.N.G.(PC),(ケータイ)】
「信用」と「信頼」の違いについて、人それぞれの解釈(ときには真逆)があり、また、その違いすら意識したことがない(→それもまた”一緒の意味”という解釈した一つの結果か。)人も居ることが判りました。
私がする。 : 信用する。信頼する
「する側」の解釈は、確かにいろいろありそうやし、違いも見出しにくい?
私がされる。:信用される。信頼される。
「される側」の解釈を考えると、何か見えたような気がした。
他人さまから
「shibomb、信用してるよ。」・・・うそやん!ちょっと疑ったんやん!
「shibomb、信頼してるよ。」・・・ちょwww 頼りにしないで。僕が何があっても全身全霊で頼りにされて、それに全身全霊で答えるのは家族だけですから。
”家族”の関係値で、この言葉を受けてみます。
家族から
「shibomb、信用してるよ。」・・・こんな会話、成り立たんなぁ。家族だったら。
「shibomb、信頼してるよ。」・・・こんな会話、成り立たんなぁ。家族だったら。
思いつきの例として、家族の話を出してみたが、脳内で「信用、信頼ってレベルじゃねーぞ!!」「あったりめぇじゃねぇか!それが僕の生きる意味。」ということが判りました。
「私は家族を信用しています。」「私は家族を信頼しています。」 ・・・家族に対して、なんてちっぽけな表現なんだろう。と思いましたし、家族に対してそういう言葉を使うこと自体に何か裏がありそうな雰囲気・違和感を感じました。
また、そう考えると、そういうちっぽけな表現が合わない友人・仲間たちも居るわけで、考えれば考えるほどに、
逆に、「”信用”とか”信頼”とか口に出す人ほど、あやしい。」という考えに辿り着きました。
だから声を大にして言いたい。
「みんなー!!僕はみんなのことを信用してるよ!信頼してるよ!そして、僕を信じてください!」
ほら、とてもウソ臭い。
どうしても伝えたいときは、
バイクのメット、「シ・ン・ヨ・ウ・シ・テ・マ・ス」「シ・ン・ラ・イ・シ・テ・マ・ス」 って8回コツンとするか。
車のブレーキランプ、「シ・ン・ヨ・ウ・シ・テ・マ・ス」「シ・ン・ラ・イ・シ・テ・マ・ス」 って8回点滅とするか。
ねむたーい!ボッダがベッドを占領してるけど、そこを無理やりかき分けて、横になりたーい!









